きりすとふぉろす
芥川龍之介の一篇に、多分キリスト教伝説の翻案と思われる「きりすとふぉろす上人」があります。
主人公オフェロスは屈強の男でかねがね世界で一番強い王の家来になろうと世界を行脚していました。当時シリアのシリア王が最強であることを知り、その手下になって戦いました。連戦連勝での祝勝の席でしたが一人浮かない王がいて「なぜ祝わないのか」と尋ねると「わしより強い王がいるからだ」「それは誰ですか」「あそこにいる死神じゃ」との答えに彼は王のもとを去り「死神」に仕えました。
今日も何百という魂をぶんどっての祝宴でも「死神」の浮かぬ顔。その原因に「十字架という王」がいることを知ったオフェロスは十字架の番人パウロに仕え方を尋ねました。その方法は急流に難儀している旅人を向こう岸に渡す「川守り」だと教えられました。彼は毎日、忠実にそのつとめを実行していきました。年月が経ちさすがの彼も老人となったある嵐の夜、一人の少年が小屋をたたき川を渡りたいと申し出ました。少年なら大丈夫と思い彼を背負って川の真ん中まで来てその重さに耐えきれず先に進みません。そのとき少年が今背負っているのが最強の王であることを告げ、今後お前は「オフェロス=重荷を担う者ではなく」「キリストフォロス=キリストを担う者=クリストファー」であることを告げ祝福したという物語です。
保育者、保護者のつとめは子どもを向こう岸に安全に渡すことですね。穏やかな日もあれば嵐の夜、突然の訪問により渡らさなければならないこともでてきます。
そのとき、私たちは一番大切な王さまを担っていて「クリストファー」と祝福されているのですね。